今回の共通テーマはカレンダーということで。
それに合わせて冲方丁の『
天地明察』を再読しました。
2010年に本屋大賞と吉川英治文学新人賞を受賞し、一昨年には実写映画化もされたので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
主人公は『
渋川春海』という実在の人物。この人が江戸時代に改暦に挑戦する話です。
つまり、カレンダーを変えるんですね。
渋川春海は碁打ちでありながら数学が趣味、ついでに神道も勉強したし日時計もつくったことあるしみたいな感じで、なんか凄い多芸な人です。
主役が実在の人物ということと、作者の冲方丁氏がアニメの脚本やゲームのシナリオも多く手がけている方ということもあってか、小説というよりは『ドラマチックな歴史書(伝記)』という感じの本です。
心理描写に重点を置いているというよりは、起こった出来事が淡々と書かれている感じですね。
その点では、時代背景や用語の解説を除けば、映像化には向いているかもしれません。
一方で数学が話の根幹にも関わっていることもあり、途中で数学の問題が出てきたりします。
そういう時は思わずページをめくる手を止めて問題を解きたくなったりもするので、そこは活字の強みでもあります。
書かれているのが時代小説専門の方ではないので、割に結構くだけた表現が出てきます。
それが読みやすさにも繋がっていますが、一方で時代小説が好きな人は違和感を抱くかもしれません。
個人的には、「これが後々◯◯になるとは、この時はまだ想像もしていなかった」みたいな表現がなんか多い気がします。
読み返しながら数えてみたら思っていたほど多くなかったのですが……やっぱりちょっと気になりますね。
前述の通り淡々とした文章の為少々味気なく感じそうですが、その分情景や時代背景は細やかに書かれているため、入り込みやすい世界観になっているように思えます。
主人公の趣味、学び、経験、出会いの全てが改暦という一大事業に収束していくのは、人生の奇妙さを感じさせられます。
伏線という言葉では片付けられません。
自分の今まで人生での経験達は、いったいどこに収束していくのかと、考えされられるお話です。
数学の話が多いですが、難しい理論の説明などはありません。わからなくても十分読み飛ばせる内容にはなっています。
ただ「なんでこいつら数学の難問解いて喜んでんの?」って思っちゃう人は感情移入が難しいかもしれませんね。
ちょっと歴史の説明が多いのも難点ですが、誰にでも読みやすい文章にはなっていると思います。
カレンダーに人生を掛けた人のお話ということで。
作中の『暦とは』何かを書いている文を引用したいと思います。
つまるところ暦とは、絶対的な必需品であると同時に、それ以上のものとして、毎年決まった季節に、人々の間に広まる“何か”なのであろう。
その後に(暦とは)『娯楽』『教養』『権威』、と書かれています。
そして『教養』を挙げた後にこうも書かれています。
それは万人の生活を映す鏡であり、尺度であり、天体の運行という巨大な事象がもたらしてくれる、“昨日が今日へ、今日が明日へ、ずっと続いてゆく”という、人間にとってなくてはならない確信の賜物だった。
古代ギリシャでは、世界を理解するための学問は『数学、幾何学、天文学、音楽』の4つだったそうです(クワドリウィウムと言うらしい)。
実際数学のお父さんであるピタゴラス(天地明察の中でもピタゴラスの定理がちょっと出てきます)もこの4つを重視したとかなんとか。
ていうかそのクワドリウィウムとやらを提唱したのが多分ピタゴラスとプラトンです。多分。
カレンダーには少なくともその内の三つ、数学と天文学と幾何学の塊です。
渋川春海が生涯を掛けて改暦に成功し、採用された『大和暦』ですが。
現在は知っての通り『グレゴリオ歴』が使用されています。日本で導入されたのは1872年らしいです。
今ではほぼ世界中の人が(文化によって多少の表記の違いはありますが)同じものを見て、同じ時の流れを感じているわけです。
時に現代人を縛り、時に安心を与えてくれる、毎日当たり前の様に目にしているカレンダーですが。
そこにも人間4000年以上の歴史と、それこそ星の数程の学者達の努力と才能と好奇心が詰まっているのでしょう。
そんなカレンダーを眺めながら、「なんで今日は今日なんだろう」と考えてみるのも面白いかもしれません。
ちなみに『百年カレンダー』というのを発売したところ、あまりの果てしなさに、購入者の間で自殺する人が続出した、という都市伝説もありますが……。
あんまり時の長さを実感するのも考えものですね。